徳留先生の子育てエッセイ「母になった日」

「母になった日」

2000年7月17日、わたしは母になりました。当時25歳、まだまだやりたいことだらけで、出産直前まで仕事に遊びにと忙しく動き回っていました。仕事柄いろんな方の出産に立ち会ってきたので、出産に対する恐怖は全くなく「早く赤ちゃんが産まれて来ないかな。かわいくて楽しくて仕方ないだろうな」とバラ色の育児生活を夢みる毎日でした。

そんな気持ちが伝わったのか、予定日より10日ほど早く陣痛が始まり、そのまま入院しちょっと小さめの女の子を出産しました。トータル8時間ほどしかかかっていないので、初産にしては大安産といったところです。産後のわたしは軽い興奮状態で、「早く赤ちゃんと一緒に過ごしたいな」とベビー室の窓ガラス越しに真っ赤っかなわが子を見つめてソワソワしていました。やがて夜になり、「はい、今夜から赤ちゃんと一緒ですよ」と言う看護師さんからわが子を受け取って自分の横に寝かせてみました。当時の大学病院では母児同室どころか母児同床とでもいうのでしょうか、産まれたての赤ちゃんが母親と同じベッドで寝るようになっていました。

(うわ、ちっさい・・・)いざ大人用のベッドに寝かせてみるとあまりの小ささにビックリ!赤ちゃんという生き物はいつも目を閉じてスヤスヤ眠っているものかと思いきや、娘は今にも泣きそうにモジモジしています。すると、唐突にビクッと全身が動きました。(え!?何だこれは・・・)医師でありながら焦りました。ナースコールを押そうか押すまいか、悩んでいたらまたビクッ!(これってけいれん?異常事態?)新米母ちゃん、心配と焦りで手が震えます。そしてまたビクッ!・・・しばらく見ているとどうやら、娘は人生初のしゃっくりをしているようです。水分を取らせてみようと慣れない授乳をしてみたら、しゃっくりは無事止まり娘はスヤスヤ眠り始めました。

「これはえらいことになったぞ・・・」思わず口に出た言葉です。ずっと夢見ていたバラ色の育児生活とはほど遠い、真っ暗闇で手探り状態の育児がいよいよ始まったのでした。その後も新米母ちゃんは、おっぱいを飲む量が少ないといっては心配し、ほっぺにブツブツができたといっては心配し・・・「それでも医者か!」とツッコまれそうですが、毎日毎日何かを心配しているありさまでした。

あれから17年、子どもも3人に増えてわたしもやっと中堅どころの母ちゃんになりました。成績、受験、友だち関係・・・中高生が3人いれば日替わりでいろんな事件が降ってきますが、「今日も元気で生きていればそれでよし!」と自分に言い聞かせて、むやみに心配しないことにしています。眉間にシワを寄せて心配するお母さんより、目尻にシワを寄せて「それでいい、それでいい」とニコニコ笑っているお母さんでいたいのです。いつまでたっても反抗期らしい気配のない子どもたちを不思議に思っていましたが、どうやら「お母さんに反抗しても笑い飛ばされそうだからそんな気にもなれない」という理由みたいです。ニコニコ太陽母ちゃん計画は、今のところ成功しているようです。

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